「荒尾干潟ワークショップ」終わる
平成27年3月1日(日) ラムサール条約湿地登録の荒尾干潟。その地に設置される予定のビジターセンターへの「展示基本計画の策定、普及啓発物品の制作等」について意見を出し合う「荒尾干潟ワークショップ」の最終回が先日開かれました。地元関係者からの意見・アイデアを出し合う会で、私もその一員として参加しています。主催は「環境省 九州地方環境事務所 野生生物課」です。...
View Article冬季の渡り鳥
平成27年3月4日(水) 三池港に石油を下ろしたのでしょうか。タンカーがゆっくり南へ向かっていました。多良岳の麓が間近に見えます。 荒尾海岸では珍しいコアオアシシギです。安尾さんの見立てでは「幼羽で第1回冬羽換羽」ではないかと言うことです。 潮が満ちていて脚の全貌が見えないのが残念でした。 ダイゼンは1羽の単独行動でした。 アオサを食べていました。 ズグロカモメの餌を獲るシーンです。...
View Article雛の里 八女ぼんぼりまつり・・・福岡県八女市
平成27年3月7日(土) 八女までは一般道を通っても1時間はかかりません。いい天気でしたのでカメラ仲間と出かけました。伝統工芸館の前には大きな灯籠が建っています。 中に入るときらびやかなお雛様がずらり並んでいます。 “さげもん”もあります。 陳列されているほんの一例です。 仏壇・提灯の町としても知られています。...
View Article「荒尾のまち案内人講座生」の国東半島ガイド研修(一)
平成27年3月10日(火) 「荒尾のまち案内人講座」、本年度最後の研修は大分・国東半島の名ガイド・藤原ちづ子さんの案内を実体験します。案内人の8名全員、母体の物語研究会から3名、JABコミニュケーションズから1名、産業振興課から5名、計17名で荒尾市役所を8時出発。 大分に入り途中で藤原さんと合流しました。早速ガイド開始です。案内人たちは真剣に聞き入ります。...
View Articleジャガイモ植え付け
平成27年3月13日(金) 去年は2月の23日、今年は1日遅れの24日です。昔のやり方で種ジャガイモを切り、灰にまぶしておきます。 連作を嫌いますので、去年とは別の所に植え付けます。畑は広いので、まだまだ空いています。 ここ3畝と別の1畝です。ビニールをかぶせます。 穴掘り器は便利です。 こちらの1列は倍の長さです。そうっと土をかぶせれば作業完了。...
View Article春が待ち遠しい花々
平成27年3月16日(月) 3月も半ば、陽春が待ち遠しい庭の花々です。これはサンタロウの花。 美味しい果実がなります。 紫のヒヤシンス。 ボケ。ピンクのボケは菜園にしたため伐採しました。今となっては移植しておけばと悔やまれます。 遅咲きのキクラミネウス水仙。 君の名は? もう1本になってしまったわが家の梅の木です。裏庭に残っています。 小梅がびっしり実を付けます。...
View Article酬恩社大教会・・・長洲組(ながす・そ) 正福寺
平成27年3月19日(木) 酬恩社とは明治11年、時の権力体制が仏教を弱体化させようとした動きに立ち向かって結成されたものです。熊本の片田舎の荒尾玉名地区の寺院でも明治16年(1888)頃に現玉名市を中心とした高瀬組(たかせ・そ)、現荒尾市や長洲町を中心とした「長洲組」(ながす・そ)が結成され、過酷な第二次世界大戦中も途絶えることなく続いています。今回で130回目。お隣の正福寺での開催です。...
View Articleわがまち(荒尾)の四つ角(五)・・・宿(しゅく)・尼ケ崎編
平成27年3月22日(日) 宿(しゅく)交差点です。南関方面から正面・グリーンランドへ方面へ向かう県道314号線と左・玉名方面、右・大牟田方面の県道46号線が交差しています。 宿という地名は旧三池往還が国道46号線のやや西側を並行して通っていた名残でしょうか。...
View Article「荒尾のまち案内人講座生」の国東半島ガイド研修(二)・・・長崎鼻一帯
平成27年3月25日(水) 腹ごしらえをした一行は花の岬・香々地(かがち)に到着です。まもなくここら一帯は菜の花に包まれるそうです。藤原さんのガイドにも熱がこもります。 海蝕洞穴へおそるおそる下ります。 見えました! 祠もあります。 洞穴から出ると松林の向こうに周防灘が広がっていました。 長崎鼻の灯台です。 あの、子どもたちのキツネ踊りで有名な姫島も遠く望まれます。...
View Article残照の鳥たち
平成27年3月28日(土) 干き始めた波打ち際で100羽ばかりのシギチの群れが餌を食べ始めていました。 時折、こうして飛び立ちます。逆光で黒くしか写りません。 セグロカモメは1羽だけポツンと立っていました。 まだズグロカモメがいて、盛んに海面へ突き込んでエサを獲っています。 残照に波が赤く光っています。漁師の影が船上に見えます。...
View Article「荒尾のまち案内人講座生」の国東半島ガイド研修(三・終章)・・・昭和の町
平成27年3月31日(火) 国東半島巡りの研修も最終章です。「昭和の町」に着きました。藤原さんのガイドにも一層熱が入ります。 レトロな雰囲気の店々に入って見学します。 町づくりの心意気が伝わってきます。 さりげない展示も参考になります。 ネーミングがいいですね。 昭和のにおいがします。 ただ通り過ぎるだけではもったいない、そう言う感じの店舗です。...
View Article二年ぶりの横浜(一)・・・馬車道から中華街へ
平成27年4月3日(金) 首都圏に住む長女の息子がこの春大学を卒業し、社会人になるのでお祝いするための上京です。先ず羽田空港からバスで横浜へ向かいます。横浜に2泊します。 ひと休憩して散策に出かけました。馬車道の一角に人だかりがしていました。 ソロギタリスト・松井祐貴さんのライブでした。 横浜スタジアム前です。 チューリップが春を告げています。 中華街に立ち寄りました。...
View Article桜便り(一)・・・市内一円
平成27年4月6日(月) まだ満開前の桜の風景、3月末の撮影です。近くの有明公園。春休みの中学生たちが遊んでいました。 市内で一番の桜並木のある市民病院前の通り。荒尾高校ラグビー部先輩・流 大君へのエールの看板も立っています。この荒尾高校は南関高校と合併し「岱志高校」と名前を変えることになっています。 市体育館前。桜の下で花見の家族がいました。 桜の向こうに真昼の月が小さく見えています。...
View Article桜便り(二・終章)・・・わが家のソメイヨシノ
平成27年4月9日(木) わが家のソメイヨシノは長女の小学校入学時の記念樹です。植えてからもう40数になります。4月4日の撮影です。 よそよりも若干遅咲きです。 九分咲きから満開に近い様子でした。 わずかな青空を背景に・・・。 午後になって晴れてきました。 夜からの風雨や雷雨はまさに花散らしになってしまいました。翌4月5日の画像です。 玄関松にも花びらが積もっています。...
View Article二年ぶりの横浜(二)・・・山下公園
平成27年4月12日(日) 山下公園はいつも賑わっています。この日は日曜の午後でした。(撮影日3月22日)。 名物のしだれ桜はまだ三分咲きでした。係留されている氷川丸です。 日米友好ガールスカウトの像です。1962年(昭和37年)に建てられたとのこと。 山下公園のスズメたち。都会っ子でしょうか、ものおじしません。 向こうには「みなとみらい」が見えます。...
View Article牡丹花・・・
平成27年4月15日(水) あっという間に桜が終わりました。今年の桜はいつになく雨や風の日が多くて早く散ってしまいました。代わって牡丹の番です。4月5日の蕾です。 以下、日にちを追っての撮影です。ほんわりとふくらんでいます。 たちまち満開になりました。また雨が多くて、覆いもないので気が気ではありませんでした。 前夜の雨の滴がびっしり・・・。 もう峠を越した花もあります。...
View Article春の渡りピークへ・・・ラムサールの荒尾干潟
平成27年4月18日(土) 夏が終わったオーストラリア方面から繁殖地のシベリア方面などに向かう渡り鳥たちが中継地のラムサール条約湿地登録・荒尾干潟へ栄養補給と休息を兼ねて渡ってくる時期になりました。これを「春の渡り」と称しています。多い時には4千羽を超えます。それだけ荒尾干潟には底生生物などのエサが豊富なのです。 シギチドリ類に混じって大型のオオソリハシシギなども飛来してきます。...
View Article二年ぶりの横浜(三・終章)・・・みなとみらい他
平成27年4月21日(火) 遊覧船が着いたようで船客の声が響いています。向こうには赤レンガ倉庫が見えます。 象の鼻パークにある象の鼻テラスです。 このテラスからみなとみらいが一望できます。 横浜市歌はあの森林太郎(鴎外)の作詞でした。 赤レンガ倉庫の花壇はいつ見てもきれいです。 コスモワールドの観覧車は4時58分を示していました。 もう日が傾いて、汽車道の線路が光っています。...
View Article日本野鳥の会 九州沖縄ブロック大会in荒尾
平成27年4月24日(金) 去る4月18~19日にかけて表記の大会が荒尾市内のホテル・荒尾干潟で行われました。主催は日本野鳥の会九州沖縄ブロック。担当熊本県支部。地元の私たちは大会の成功に向けて前々から準備を重ねてきました。受付風景。 各会員が持ち寄ったオークション出品の一部です。 九州沖縄から110余名の参加がありました。...
View Article柴又旅情(一)...8年ぶりの訪問
平成27年4月27日(火) 柴又駅に降ります。10年ぶりと思っていたら8年前の平成19年にも来ていました。 渥美清さんが亡くなったのは1996年(平成8年)8月4日でした。私はその年の8月24日にも柴又を訪れています。隠れ寅さんファンを自称していたので、寅さん(渥美清さん)を弔うためです。高砂から金町行きの電車には寅さんの写真がいっぱい飾られていました。...
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