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Channel: 花鳥風月・・・気ままな写真日記
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ガンと共に 3

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平成29年6月15日(木)

早いもので入院して10日目です。私のささやかな病床日記を多くの方から読んでいただいているのはとても嬉しいです。
何よりも皆さんの周辺の状況や情報を伝えていただき、国民の二人に一人はガン患者だと言うことを実感しています。
そして絶えず励まし、元気付けてくださる皆さんに感謝の日々を送っています。家族との絆も前よりは強くなった気がします。
さて2日目の記録です。
6月9日(金)
◯ 6:45 採血4本
◯ 8:30 ステロイド剤服用・12錠
◯ 9:15 主治医説明 ・1週間くらいしたら免疫力が下がる。尿酸値が高くならないように水分はこまめに摂る。
◯ 10:00 〜12:00 抗がん剤点滴・ピラルビシン ・オンコビン ・エンドキサン
◯ 15:05 研修医回診。励まされる。
◯ 16:00 薬剤師、問診と説明。
◯ 18:40 胃薬1錠。
◯ 19:30 副作用を抑える点滴。・ラステリック

薬剤名などは聞きかじりで正確さに欠けると思います。参考程度と思って下さいよ

昨日(14日)は採血以外は治療小休止でしたと体調はややだるい程度、平穏に過ごしています。

病院の外の駐車場から眺めた雲仙普賢岳です。




ガンと共に 4

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平成29年6月18日(日)

きょうで入院13日目を迎えました。
◯ ステロイド剤治療 〜13日(朝:12錠、昼:8錠)
◯ 採血:14日、16日

不眠、倦怠感、食欲低下、便秘などの兆候が徐々に出てくる。

◯ 点滴:副作用 抑制 11日

◯ この間、回診随時。説明と激励を受く。

◯ 12日より睡眠剤服用、胃薬も。

◯ 月、水、金は入浴。今のところ手がかからない患者なので、いつも一番風呂です🛁。早風呂なので「もう⁉︎?」といつもびっくりされています。皆さんが働いていらっしゃる時間の朝湯は小原庄助になった気分です^_^。しばし病気を忘れます。

◯ 6月14日:治療、 小休止。倦怠感徐々に出る。16日がピークp。17日は幾分良好。

入院前に撮った我が家のタマネギです。



これも入院前に評判を聞いて娘達と出かけた佐賀・伊万里の鶏肉の美味しい店です^_^2時間半かかりました。孫のチョロ2が運転してくれました。





旧競馬場前の国道の海岸線は途中で切れていましたがやっと開通したそうで、先日開通式があったと新聞にも出ていました。ブログ友のクラシックさんからもラインで教えてもらいました。この写真は工事中の市屋ガード上です。



病院の玄関先の紫陽花。



同じくサルビア。








ガンと共に 5・・・柴又より愛を込めて

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平成29年6月21日(水)

昨日から入院3週目に入っています。抗がん剤治療は小休止、採血は随時行われています。
白血球の値が半減し、免疫力が下がっている時期、感染症にかからないようにと言われています。来室者はもとより、本人も手洗い、マスク使用を励行しています。

首都圏に住む社会人3年生の孫が「じいちゃんの好きな柴又に行ってきたよ」とラインで写真を送ってきました。帝釈天で病気平癒を祈願してくれたそうです。



私の 寅さん好きは知る人ぞ知る、と言う感じです。寅さんこと・渥美きよしが亡くなった年を含めて何回も柴又詣でをしています。孫たちも良く知っています。ブログ友の縄文人さんの居住区でもあります。
柴又駅前の寅さん像です。いずれも孫の撮影。



新しく出来たさくら像。さくらが寅さんを見つめています。



さくらの倍賞千恵子さんも渥美さんがいなくて淋しいでしょうね。孫は寅さん記念館には「じいちゃんが良くなってから一緒に行きたいので、敢えて回らなかったよ」と書いて寄越しました。「きっと元気になるから一緒に行くからね」と返事をしました。



不眠が続いているので、川柳作りをしています。

😷髪はまだ抜けずにいるばい朝日差す

😷弱き者助けぬ政治永田町

😷お互いの病状出し合うサロンかな

ガンと共に 6・・・病院での父の日

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 平成29年6月24日(土)

 我が家では父の日・母の日を娘たちがまとめて祝ってくれて毎年、贈り物を貰っています。今年も入院前に済ませています。
 18日の日曜日の病気の昼食です。おかずの中心は海老とイカリングの天ぷらです。デザートはパイナップル。小さなカードが添えられていました。
 


何でもないことのようですが、給食スタッフの皆さんの温かい心がこもっていて、嬉しかったです。



 副作用の影響で、進まない食欲ですが時間をかけてゆっくりと完食が出来ました。私はメモ紙にスタッフへのお礼の言葉をしたためました。命をつないでくれる食事を三度三度こしらえて下さるスタッフへいくら言葉を尽くしても言い足りない感じがしました。「一患者」と書きました。
 かなり時間が経ってから、栄養士さんが部屋(個室)に見えられ、「こんな言葉をいただき感激しました。」とお礼を言われました。お礼を言うのはこっちなのに・・・。どうして私の名前が分かったのでしょう。不思議です。「給食担当全員にしっかり伝えます。」とのことで返って恐縮した次第です。

 病院の北駐車場から眺めた夕陽です。ああ、荒尾干潟の夕陽も見たいなあ!



 すぐ東隣にある熊本県立岱志高校(旧荒尾高校)です。生徒数が激減し、お隣の南関高校と合併しました。平日なのに森閑としています。アイフォンのパノラマ写真です。



 きょう(24日)で入院19日目。第1サイクルはあと2日で終了します。第2サイクルからまた抗がん剤治療が始まります。抜け毛などの副作用も出始めています。血液検査の結果、白血球が更に低下し、感染症の危険が増したため室内でもマスクを着用しています。皆さんに励まされ、しっかりと養生しているのでご安心ください。
 ここで川柳。
 病院で「元気ですか?」とつい口に
 ホトトギス声遠けれど病む床に
 「もり」「かけ」と揶揄(やゆ)され政権へばり付き

ガンと共に 7・・・乗松選手と見舞の本など

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 平成29年6月27(火)

 海老蔵さんの奥様である小林麻央さんが亡くなられました。幼い子を残してどんなに心残りだったことでしょう。忙しい身でありながら記者会見の場を設定された海老蔵さんの涙の会見を見て、もらい泣きした人も多かったことでしょう。私もその一人でした。
 真央さんの闘病日記のブログを見たことはありませんが、時間を見て覗いてみたいと思っています。
 超有名人のブログの反響は大きかったと聞いています。一方私のは超無名人のブログの病気日記、比較するのもおこがましいですが、全国にはまた私のような名もなく平凡な方々が病気と闘っていらっしゃるのもまた事実です。
 やっぱり支えてくれるのは人なのですね。

リオオリンピックで銅メダルに輝いた荒尾市出身の乗松聖矢選手が地元のテレビに出演しました。



 彼は私の知人の息子さんです。地元に凱旋した時もブログで紹介しました。熊本とのつながりをいつも大切にしています。



 ご両親です。息子さんを支え続けると共に、息子さんのお陰だと逆に感謝される一面も持っておられます。乗松聖矢選手の益々の活躍を期待しています。



 お見舞にいただいた本です。ゆっくりと楽しませてもらっています。   



 こちらはお笑いはガンにいいと勧められ、毎日アハハと笑っています。この他文芸春秋、週刊文春、週刊現代などもいただき楽しく読んでいます。



 これは九州のローカル紙・西日本新聞に連載されたものが本になり、記念に読者にプレゼントの応募がありました。連れ合いが応募して運良く当たりました。単行本をまた読み直します。前熊本県知事の潮谷さんはすごい人だと連載中、再認識しました。一読を勧めます。



 連れ合いがタブレットで撮ってきた写真です。まず我が家の紫陽花。



 菜園のミニトマト。広い畑は今、草ぼうぼうとのこと。「退院したら刈ってやるよ。」と言っています。



 これは家の敷地内の菜園のトウモロコシ。いつ実を付けるかな、楽しみです。



 皆さんのお陰で順調に過ごしています。白血球がまだ上がりませんので、先生はそれを増やす注射を考えておられるようです。医療保険の都合上、週末には一時退院してまたすぐ再入院の運びになり、第2サイクルの治療
に入ります。
 ここで川柳。

寅さんを真似てふらりと旅したい

明るくと装えど淋しガンの床

ハイ離党これで幕引く自〇党

癒しの画像・・・R子さん&末娘から

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 平成29年6月30日(金)

 28日、一時退院して23日ぶりに我が家へ戻りました。一番ほっとしたのはネットがつながることです。もちろん病院は治療するのが本務ですが、私が関係する機関や団体のメールなどのチェックは気になります。お世話になっている病院は建て替えが検討されていますので、そうなった暁にはIT関係も最新式になることでしょう。

 退院時には若干白血球は増えてはいましたがまだ安心レベルではないので、白血球が増える皮下注射をしてから自宅で飲む数種理の薬をいただいて帰りました。夜はやはり不眠傾向と胃の痛み、足のだるさなどの自覚症状がありますが、比較的元気で過ごしています。

 今朝は早くから松の芽摘みと植木の剪定を特別に依頼していたので、シルバーセンターから6名の方がやってきました。いつも私が一人で2か月ばかりかかっていた仕事を一部を残して1日で済ませてくれました。ありがたいことです。

 午前中、海岸へ一人で歩きにいきました。ゆっくりと歩きながら潮風をおなかいっぱい吸い込んできました。約4,000歩でした。この時期、渡り鳥の姿はなく、アオバトが11羽、アオサギ1羽、トビ1羽にハシボソガラス、ハクセキレイが数羽いました。ウグイス、ホオジロは鳴き声だけ聞こえました。満ちてきた海面をボラがしきりに跳ねていました。

 ご近所のR子さんは愛媛に嫁いでいます。私が母校である中学校に赴任した時の新1年生でした。今もこの仲間はラインで結ばれ固い絆を誇っています。
 メルボルンにいる娘さんが第二子を出産されたので当地に滞在中です。ラインは便利なもので、メルボルンの夜景を送ってもらいました。メルボルンのヴァージニア州のオオソリハシシギは荒尾干潟にやってきます。そういうご縁もあります。



これがメルボルのあるヴァージニア州の海岸から放鳥されたオオソリハシシギです。6年前の5月の撮影です。



 私の末娘が仕事先から送ってくれたホノルルの写真です。



 末娘は横浜のみなとみらい近くに住んでいます。



横浜港に入港した外国船。



 鳥好きの私にR子さんが送ってくれた画像です。





 どうもバンのようです。(違っていたらごめんなさい。)



 カナダから末娘の写真です。こういう標識は沖縄のヤンバルクイナ保護のためにもありますね。車に徐行をと呼び掛けているのでしょう。



 鳥の名前は調べましたが分かりませんでした。



 これはマガモかな?



 明治神宮の大樹、「いい気が貰えそう」と『かりそめのこととは思はでくらすこそ世にながらへむ薬なるらめ』の歌を添えて送ってくれました。二八番のおみくじ。(些細なことをくよくよして愚痴をこぼしたり、取り越し苦労をしないようにして、日々を暮すことこそ、健康長寿の良薬だ。)の意のようです。
 R子さん共々心を癒され、一層元気が出たような気がします。
 1年の半分が過ぎましたね・・・。

久しぶりの海岸散歩

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 平成29年7月3日(月)
一時退院した翌日、久しぶりに海岸を歩いてきました。梅雨空でした。潮は満ちかけていました。(iPhoneの画像です。)



 雲仙普賢岳にも雲がかかっています。



 防波堤の石段にへばりついている根性ハマゴウです。先年、秋篠宮様ご夫妻が荒尾干潟にお見えになった折に、海岸清掃で業者が伐採しようとしたのを私が止めた因縁の植物です。



 今年もきれいな花を咲かせていてくれました。 



 ボールがポツンと置いてありました。流れ着いてきたものでしょう。



 砂鉄です。この砂鉄を利用して荒尾の刀剣工・松永源六郎さん は日本刀を鋳造しています。



 打ち上げられているおびただしい貝殻です。昔はこれを利用して石灰を作っていました。



 潮が満ちてくる時には茶色っぽい泡が一緒に流れてくるので、満ち潮か引き潮かの区別が子ども心にも分かっていました。この泡を子どもの頃は「ガンブツ」と呼んでいました。



 防波堤のコンクリートブロックを市の北部の大島海岸の防波堤工事現場へダンプカーが運んでいました。



 潮がかなり満ちてきました。往復約4,000歩の散歩でした。



 もう7月です。このスイカは畑のびビニールハウスで育ったものです。チョロ2たちへも分けてあげました。
 前回の記事で一時退院ごの様子を報告しました。足の痛みは幾分和らぎました。どうにか杖なしでゆっくりとは歩行できるようになりました。
 きょう(3日)から再入院です。皆さんの励みを糧にまたしっかりと入院生活を送り、回復を目指します。これからもどうぞよろしくお願いいたします。皆さんのエールが励みなので敢えてコメント欄は閉じていません。

シルバーさん 庭木の剪定

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 平成29年7月6日(木)

 知り合いのOさんが班長をしているシルバーさんが他の班も伴って6名で庭木の剪定にやってきました。一時退院した翌日、朝の7時には揃って作業開始です。



左に見える家は老齢の夫婦が相次いで亡くなられ、無人です。こう言う空き家が周辺に7軒もあります。



 盆栽松の芽摘みです。



 こんなにきれいになりました。



 欅も伸び放題でしたが・・・。



 ご覧のようにさっぱりしました。



 紫陽花もすっきり摘んでもらいました。



 樫の木の下の松の新芽摘み。



 お気に入りの懸崖松もすっきりです。一人ですると2週間はかかっていました。



 生い茂っていた垣根や、はみ出ていた柿の枝なども作業してもらいました。





 ニセアカシヤも茂っていました。



 ご覧のようにすっきりしました。



第2サイクルの抗がん剤治療点滴は4日、5日で終わりステロイド剤治療が5日から5日間続きます。経過がいいと言うことで、近々退院して外来での化学療法に入る予定です。私はゆっくり入院しておいた方が気楽でいいのですが、今は日常生活をしながら入院時と同じ治療をするようになっているとのこと。
感染症に気をつけながら通院し、回復を目指します。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
追記:一晩中、稲光、雷鳴、断続的な豪雨で眠れませんでした。福岡県と隣接している当市も豪雨に見舞われ、市内を流れる菜切川と浦川が警戒水域を突破したと報じられています。今まで災害の少なかった当市ですが心配です。
被害に遭われた地域の皆様、心からお見舞い申し上げます。どうかこれ以上の被害が出ませんように・・・

菜園近況・・・一時退院時のスナップ (ガンと共に11)

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 平成29年7月9日(日)

 一時退院時の5日間で夫婦二人で撮った菜園の近況です。キウリです。いっぺんになるので、食べきれずにおすそ分けしています。





  ズッキーニです。



 ナス。これも食べきれません。



 ゴーヤ。



 採りたてのナスとトマト。



 ミニトマトも・・・。



 トウモロコシも育っています。



 家の敷地内の遅く植えたスイカ。3個実を付けました。まだ収穫は先です。



 畑のビニールハウスで育ったスイカは全部で5個。もう4個を収穫しました。





 落花生。私の入院で草をとる時間がなく伸びています。



 サツマイモ。連れ合いが植えた前後に恵みの雨が降り、うまく根付きました。
病症ですが痛風の腫れも痛みもほぼ解消し、院内散歩もほぼ出来ています。きょうでステロイド剤治療3日目です。毎回の体温測定、血液検査、体重測定、数日おいての血液検査以外は各種の薬剤服用があります。睡眠障害、便秘、脱毛などの副作用は避けて通れませんが、土曜日も先生は部屋にやってきて「順調です。」と激励して下さいます。力強い全国の皆さんのエールや友人・知人・家族に支えられ明るく養生していくことが出来ます。



話は変わりますが、今日から夏の高校野球熊本県予選大会が始まります。とかくスーパースターや選りすぐった野球留学校ばかりに注目が集まりますが、部員9人と言う過疎校や進学校のために制限された練習時間で精一杯頑張っている高校球児のことも忘れないでほしいものです。大雨警報が出ているので気がかりです。

院内七夕 (ガンと共に 12)

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平成29年7月12日(水)

ブログ友のポッチ〜さんが予見されたように7日の昼は七夕🎋のご馳走でした。



病院の玄関入口には、院内保育所の園児たちがきれいに飾ってくれました。患者や来院者も短冊を下げることが出来ます。





私も感謝を込めて一筆書きました。



病院の廊下には絵画なども展示してあります。よく行っている喫茶店のマスターの絵もありました。



3、4日と行なわれた抗がん剤点滴です。各5時間ほどかかります。



末娘が休暇を利用して沖縄から送ってくれたハイビスカス🌺です。



オーストラリア滞在中のR子さんから届いたカモメの写真。現地ではシーガルと呼んでいるそうです。日本のユリカモメそっくりです。



昨日(11日)の病院上の駐車場前の畑。ネコジャラシが伸び放題でした。



入院している病室の一角が見えます。 きつい日多いありますが乗り越えていきます。これからもよろしくお願いいたします。

 

病院の周り (ガンと共に 13) 

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 平成29年7月15日(土)

 体調がダウン傾向な上にiPhoneの速度は遅くなるしパソコンはつながりにくく、やっと更新が出来ました。
 病室から見える四角い空も夏らしくなりました。
 抗がん剤治療の影響で気分は良くなったり悪くなったりの繰り返しですが、これもまた避けて通れない回復へのプロセスなのだそうです。へこまずに前を向いて過ごしていますのでこれからもどうぞどうぞ、よろしくお願いいたします。



 北駐車場から眺めました。市長選の争点になった移築問題もこの8月に新市長が移築先を発表するることになっているようです。



 この前見た夕陽の位置が若干南寄りになっていました。  



 夕陽の下の建物は我が母校でもあり勤務したことがある荒尾一中(現・海陽中)です。



 夕陽の場所から屋形山ー岱志高校へとパノラマで撮りました。



 こうしてみると病院の西の森は結構広いです。ひと頃はヤマモモの実を食べにムクドリやヒヨドリの群れが来ていました。



 きのう(14日)の朝の月です。





 荒尾が生んだシンガーソングライター・関島秀樹さん が見舞に来てくれ、新発売のCDまでいただきました。



 病院玄関の傘立てにこんなのがありました。高校時代スリッパが度々なくなるので「水虫・田虫」と書いていたのですが、効き目がなくすぐなくなってしまったことを懐かしく思い出しました。



 末娘が横浜から送ってくれた写真です。流木での飾りです。

坂田燦奥の細道版画展 (ガンと共に14)

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 平成29年7月18日(火)

 お陰様で体調もかなり安定し、院内散歩も苦にならなくなっています。食欲が今一つなく、体重はこのひと月で5キロ近く減少しましたが至って足取りも軽くなっています。先生は順調に回復傾向に向かっているとおっしゃっています。

 7月1日から荒尾総合文化センターで開催された「坂田燦奥の細道版画展」は楽しみにしていましたが入院したため行けませんでした。ところが文化センターのMさんがお見舞にと本を届けてくださいました。坂田さんは高校、大学の1級先輩です。毎日ページをめくって「奥の細道」の旅を楽しんでいます。
 お兄さんの黎一さんも高校の美術教師をされ、多くの人材を世に送り出されました。退職後も創作の傍ら市の美術協会長としても市内外の美術界を牽引されていましたが、先年病に倒れお亡くなりになりました。奥様と同級生との縁で親しくさせていただいていました。遺作展もここ文化センターで行われましたがその折は観覧することが出来ました。
 皆さんに版画の1枚1枚をお見せ出来ないのが残念です。なお、この版画展は先に熊本県立美術館や東京の松濤美術館でも開催されたとのことです。



 朝の散歩でちょっと玄関先まで出てみました。正面は第一紡績です。



 市民病院通りの西方面。このまま右手の西へ進むと有明海です。



 東手にはメタセコイヤ並木が続いています。



 長崎空港から関西・関東方面へ向かう航空機が上空を過していきました。



 時間が経って飛行機雲がかなり乱れていました。きょうも暑そうです。



 鶏頭の花です。ここで一句といきたいところですが・・・。



 家の敷地内の菜園で採れたトウモロコシです。まずまずの出来で、連れ合いが茹でて持ってきてくれました。
 皆さんのエールに支えられてきょうも前向きにと思っているどんこです。



山下博美先生一行来室 (ガンと共に15)

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 平成29年7月21日(金)

 先日、立命館アジア太平洋大学・山下博美先生が病院のすぐ東にある熊本県立岱志高校で「荒尾干潟の魅力とみんなの魅力」と題し、1年生全員と先生方を対象に授業をされた後、安尾さんと野鳥の会・Mさんと3人でひょっこり私を見舞ってくださいました。
 荒尾干潟大好きの山下先生はこれまで何回も荒尾干潟においでになり、いろいろとサポートしていただいています。このブログにも度々登場させていただいています。
 去年の6月7日の記事です。ここ

 自称・人畜無害だとおっしゃる安尾さんですが、両手に美人でいつもより鼻の下を長くしていらっしゃる感じでした。山下先生大ファンの安尾さんは「荒尾干潟に舞い降りたマドンナ」だと先生を称しておられます。
 翌15日は県南の八代市で行われた「八代海再生 ラムサール条約登録に向けたワークショップ」『ラムサール条約を学ぶ後援会』の講師としてお話をされるのでこの3人で出かけられました。安尾さんもルンルン運転だったことでしょう。

 山下先生です。荒尾干潟でのマジャク釣りのスナップです。(写真:山下先生提供)



 皆様のお陰でこのところ朝の散歩も快調です。早朝の病院の前庭、まだ外灯が灯っていました。



 有明の月です。



 もう救急車が役目を終えて帰っていくところでした。(カメラがブレてします。)



 市の産業振興課のBさんが長洲町の広報紙に載っていたとラインで写真を送ってくれました。「長洲うみ塾」参加の小学生に私が荒尾干潟を説明しているものでした。町長さん、教育長さんは次代を担う子供の育成にとても熱心です。



 こちらは首都圏で活躍している関島秀樹さんの弟・Tさんが趣味でやっているライブのポスターです。私が上京する際は必ずミニ同窓会を開いてくれます。



 オーストラリアに滞在しいたR子さんが送ってくれた世界遺産の王立展示館です。



 もうそろそろシベリア方面からオーストラリアへ向かう途中に荒尾干潟にオオソリハシシギが立ち寄る頃です。早く見たいなあ・・・。



 こういう夕焼け空が私を待ってくれていることでしょう。

夕陽が沈む・・撮り置きの画像・・(ガンと共に16)

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 平成29年7月24日(月)

 ようやく私の治療も第2サイクルが終わりに近づいてきました。再入院してきょう(24日)で21日目です。
 きょうは6月の5日に撮っていた夕陽の写真をアップします。投網をする人がいました。



 こちらでは「とあみ」とは言わずに「投げ網」と言っています。何が獲れたのでしょうか。



 遠く暮れなずむ雲仙普賢岳です。



 月が浮かんでいました。



 防波堤に勢いのいい海辺の植物が生えています。ハマウドでしょうか。



 昔、教え子が中学の卒業俳句で作った「岸壁に根強く張った野菊かな」を想い出しました。この子は集団就職列車で関西の会社に就職していきました。



 間もなく日没です。夕暮れで鳥の姿も見えません!



 夕陽は明日への希望だと幼少の頃から思い続けています。



 こんなに大きな夕陽です。誰でもが「陽はまた昇る」と思いたくなりますよね。



 すっかり日が沈みました。



 夕闇が迫ってきました・・・。停泊している貨物船にも灯りが灯っています。 

夏は来ぬ(ガンと共に17)

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平成29年7月27日(木)

 第2サイクルが終わり、昨日(26日)退院しました。第3サイクル以降は外来通院での治療になります。経過は良好のようなので、暑いさ中ですがしっかり養生してまいりますので、今後ともよろしくお願いいたします。

 病院の夜明け、退院前日です。病院の玄関前にはケヤキやイチョウなどが繁っています。



 この日は薄曇り、淡い太陽が見られました。



 ちょっと院外に足を延ばしてみました。季節の花々です。モミジの翼果です。もうじき赤くなるはずです。別名は赤いヘリコプター。



 薄紫や白のむくげ、ノウゼンカズラ、モミジアオイなどが垣根や空き家の玄関先に咲いていました。 



 土手にはまだアジサイが元気でした。ちょっと変わったアジサイも見られました。病院に戻りつくと猫がのんびり寝ていました。右下は北駐車場の夕暮れの画像です。



 25日は丑の日。昼食には「ひつまぶし」が出ました。病室のあちこちから「ウオッ!」という声が上がったそうです。





 もう退院なので最後のお礼の手紙を書きました。26日の朝、また栄養士さんがお礼の挨拶に見えました。良く知っている方の娘さんでした。私も心からお礼を申しました。通算46日間の入院生活でしたが病院の先生初めいいスタッフに恵まれ感謝しています。



 久しぶりの家路は暑いの一言。エアコンの部屋は涼しいですが廊下や外に出るとムッとしまします。庭にパイナップルリリーが咲いていました。


ああ海岸にガレキ(ガンと共に 18)

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 平成29年7月30日(日)

 退院して4日目の朝を迎えています。血圧も正常。体温も問題なくだるさもさほど感じません。食欲は普通で家庭料理を楽しんでいます。昨日の朝は海岸を5千歩を歩きました。きょうで第2サイクルが終わり、あすから第3サイクルに入ります。31日(月)は外来の化学療法室で抗がん剤治療があり、この日を含めて5日間ステロイド剤の服用が続きます。31日は1日がかりだからと事前に言われています。

 退院の翌朝、6時前、海岸に出てみました。松林の間から朝日が昇ってきていました。



 薄曇りで淡い太陽です。



 東の小岱山もかすんで見えません。



 福岡県の朝倉市などの豪雨で流されてきた流木などが打ち上げられています。



 ご覧のような惨状です。



 対岸の島原半島、雲仙普賢岳ももやっていて全く見えません。



 手つかずのまま放置されています。





 大きな木の根っこも転んでいました。



 まだ使えそうな木材です。



 ハマゴウの花は健在でした。



 鳥が運んできたのでしょうか。桑の木が生えていました。



 本年度着工が予定されている「荒尾干潟ビジターセンター」(仮称)予定地の旧食肉センター跡地は3月末には更地になっていましたが、まだそのままです。いつ着工されるのでしょうか。このところ諸会合にも出席出来ていないので情報が全く入りません。

荒尾港周辺散策 (ガンと共に 19)

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 平成29年8月2日(水)

 7月31日(月)、退院後初めての外来の化学療法に行ってきました。9時前から行って、午後4時までかかりました。お昼は軽く点滴打ちながらベッドで済ませました。認定看護師のMさんはてきぱきとした上に優しい人で、安心して過ごせました。もちろんこの間、主治医のK先生も治療にお見えになりました。
 採血後の治療一覧です。お陰様で帰宅後も異常はなく、平穏な生活を送っています。副作用が出てくるのは10日後くらいでしょう。



 通院の翌朝はいつものように5時半に起きて、車で10数分の荒尾港へ行ってきました。もう朝日が昇っていました。 



 荒尾港へ注ぐ小さな大島川です。



 きょうの空もモヤや薄雲がかかっています。



 海達公子の歌碑が夏草に埋もれかかっています。



 この広場は旧荒尾第二中学校跡地です。現在は旧荒尾第一中学校と合併し、海陽中学校となっています。



 荒尾港は小さな漁港です。



 ここにもガレキが寄っています。



 四山神社はこの四つの山の右端の山にあります。有明海を照らす灯台もあります。



 この竹のヒビはゴミやガレキ避けるためだと聞きました。



 2,3日前、新聞にも出ていましたが原野火災で停泊していた漁船が焼けた跡です。



 近くで見た鳥です。コサギ。



 アオサギ。



 カワセミ。



 ミサゴが獲物を獲って逃げていました。



 ブイに乗ったカルガモです。



 トビハゼでしょうか。ピンピン海面を跳んでいました。





 マツヨイグサでしょうか。岸壁に生えていました。



 このところ荒尾・玉名は全国最高気温を記録していますが、雲には初秋を感じます。台風5号の進路が心配です。



 8月のポストカード。例年は来ているオオソリハシシギの姿がまだ見られません。

南荒尾駅・荒尾駅周辺 (ガンと共に 20)

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 平成29年8月5日(土)

 きょう(土)の朝と昼まではステロイド系の薬(薬剤名省略)の服用をします。そのほか毎日の服用はしびれ防止の薬、、尿酸値を下げる薬、睡眠のリズムを整える薬などを服用しています。必要によって不眠時は別に睡眠剤を飲みます。
 至って快調で、夜眠りが浅い以外は平穏に過ごしています。

 本市にはJRの駅が二つあります。一つは私が高校時に通学に利用していた南荒尾駅です。家から徒歩で10分程度です。その頃は国鉄時代、まだSLの機関車でした。海水浴場開設時にはプラットホームに積み残しの客が出るほどの盛況ぶりでしたが、今は無人駅になっています。



 水洗トイレは先年新設され、壁面には私の荒尾干潟の鳥の写真が2カ所掲示されています。



 ラムサール湿地登録を広く周知させるため市が設置しました。 





  熊本駅から豊肥線経由で行く「肥後大津」行きです。




 駅名の標識は錆びています。私の写真以外は駅のプラットホームにも駅玄関にも「世界のラムサール条約湿地・荒尾干潟」を知らせる看板等はい一切なく、寂しい限りです。



  さて、車で境崎から北の荒尾駅方面へ向かいます。まっすぐ進むと大正町方面です。右手には以前はY書店がありましたが今は閉店しています。



 JR荒尾駅です。世界遺産になった万田坑のシンボル・竪坑櫓のモニュメントが建っています。



 シンボルにしてはちょっと小さめ!



 駅舎は少しリニューアルされた程度で以前のままです。



 荒尾が生んだ天才少女詩人・海達公子の2号詩碑が建っています。



 改札口。まだ早くて切符切りの部屋はカーテンがかかっていました。



 ホームには電車が留まっています。



 駅の正面。有明海に通じています。閉店している薬局の前はメタセコイヤの並木通りになっています。左手にあった西鉄荒尾営業所も撤去され、更地になっています。さびれる一方の感じです。

 

蔵満海岸(荒尾市)のチュウサギ (ガンと共に 21)

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 平成29年8月8日(火)

 第3サイクル、抗がん剤治療の2週目、そろそろ副作用が出てくる時期です。兆候としては倦怠感、食欲減退、睡眠障害、便秘傾向などですが、2度は通過していますので、力まず乗り切っていきます。

 久しぶりに望遠レンズを持って海岸へ行きました。漂流している倒木にチュウサギ?が乗っかっていました。



 安尾さんに問い合わせたのですが、種類は不明確です。黄色い脚からはコサギかと思われますが、口ばしが黄色です。コサギの夏羽は黒いはずです。



 私はチュウサギの幼鳥かなと思っていますが・・・。(誰かお分かりの方は教えて下さい。)



 しばし飛んでいる姿をご覧ください。











 用水路に着地しようとしています。



 沖へ向かって飛んでいる姿。平和な海です。



歩いている頭上をアキアカネが乱舞していました。

世界遺産の万田坑へ (ガンと共に 22)

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 平成29年8月11日(金)

 第3サイクルの抗がん剤点滴から12日目、ステロイド剤を5日間服用後7日目です。だるさなどのきつさは8月6、7日がピークで、珍しく朝の散歩を数日、休まざるを得ませんでした。徐々に平常に戻っています。

 万田小学校(旧荒尾第二小学校)の前を通り、国道208号線を横断し、世界遺産に登録された万田坑へ向かいます。



 このトンネルを抜けると間もなく着きます。



 入っていくと左手に万田坑ステーションがあります。早朝でまだ人の気配もありません。



 私の影が長く写っています。早朝です。



 第二竪坑巻上機室です。後ろの銀色の櫓が第二竪坑櫓です。



 熊本地震以降、ここにも見学者減少の傾向があるそうです。 





 汽灌場の跡地。煙突が名残を留めています。向こうは万田山。



 右側に見える建物は配電所(変電所)です。第一竪坑の跡が中央部に少し見えます。





 プレハブの売店などが最近出来ました。日祭日には結構賑わっているようです。 



 パノラマで全景を撮ってみました。



 巻上機室を模した万田炭鉱館です。すぐ前は万田公園で以前は桜の名所でした。すぐそばには炭鉱最盛期には1,800名もいた荒尾第5中学校がありましたが、先年、生徒数激減のため廃校になりました。
 直進するとグリーンランド方面、右折するとJR荒尾駅方面へと向かいます。

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